【医学鑑定 後遺障害】見落としがちな高次脳機能障害の根幹となる「注意障害」の医学的解説
- 医療鑑定研究会 中嶋浩二

- 10月7日
- 読了時間: 6分

高次脳機能障害は、麻痺や言語障害のように外見から判断しにくいため、「見えない障害」とも呼ばれます。
特に、被害者本人が訴える「記憶力の低下」や「仕事上の困難」といった症状は、その深刻さが裁判官や保険会社に十分に伝わりにくいという側面があります。
脳外科の専門医である私の立場から申し上げますと、これらの多様な症状の根幹には、しばしば共通する一つの機能障害が潜んでいます。
それが「注意障害」です。
本稿では、高次脳機能障害の中核をなす「注意障害」が、なぜ記憶障害や遂行機能障害を引き起こすのか、そのメカニズムを医学的に解説します。
■ 高次脳機能の土台としての「注意機能」
まず、高次脳機能障害の全体像を理解する上で極めて重要な概念が「注意機能」です。これは、記憶、思考、判断、計画といった全ての知的活動の基盤となる、基本的な脳の働きを指します。
注意機能とは、膨大な内外の情報の中から、特定の重要な情報に意識の焦点を絞り込み、それを維持し、必要に応じて切り替える能力のことです。この機能がなければ、脳は情報の洪水に圧倒され、意味のある処理を行うことができません。
例えば、交通事故の被害者が事故後に「人の話が頭に入ってこない」と訴える場合を考えてみましょう。
これは、会話の相手の声という特定の聴覚情報に意識を向け続ける「持続性注意」や、周囲の雑音を無視して相手の声だけを選び出す「選択的注意」が低下している可能性を示唆します。
本人の聴力や知能に問題がなくとも、注意というフィルターが正常に機能しなければ、情報は脳に届かないのです。
交通事故による頭部外傷では、脳全体にびまん性軸索損傷(広範囲にわたる神経線維の損傷)が生じることがあります。このような損傷は、特定の機能局在がはっきりしない「注意機能」のような、脳の広範なネットワークを要する機能に影響を及ぼしやすいという特徴があります。
したがって、被害者が訴える様々な症状を個別に捉えるのではなく、まずその土台である注意機能に障害が生じているのではないか、という視点を持つことが、的確な病態理解の第一歩となります。この視点は、神経心理学的検査の結果を解釈し、症状の一貫性を主張する上でも極めて有効です。
(併せて読みたい記事:【高次脳機能障害】神経心理学的検査を行う順番があるのをご存じですか?)

■ 記憶障害の根源:記銘プロセスを阻害する「注意障害」
高次脳機能障害の症状として最も頻繁に訴えられるものの一つが「記憶障害」です。特に「新しいことを覚えられない」という前向性健忘は、社会復帰の大きな障壁となります。
この記憶障害を立証する際、その原因が注意障害にあることを論理的に説明できるか否かが、主張の説得力を大きく左右します。
記憶のプロセスは、ご存知の通り「記銘」「保持」「想起」の三段階に分けられます。このうち、注意障害が最も直接的に影響を及ぼすのが、情報を脳に取り込む入り口である「記銘」の段階です。
脳は、注意を向けた情報しか「記憶すべき重要な情報」として認識しません。注意が散漫であったり、集中力が続かなかったりすると、情報はそもそも記銘のテーブルに乗りません。つまり、被害者は「忘れた」のではなく、そもそも「覚えていない」のです。
例えば、被害者が「医師からの説明内容を覚えていない」とします。
これは、単なる記憶力の問題というよりも、説明を受けている間、痛みや不安、あるいは周囲の喧騒などによって注意が逸れ、説明内容に持続的に注意を向けることができなかった結果である可能性が高いのです。注意という入り口が閉ざされていては、いかに重要な情報でも記憶として貯蔵されることはありません。

■ 遂行機能障害の本質:司令塔を機能不全に陥れる「注意障害」
「仕事の段取りが悪くなった」「複数の作業を同時にこなせない」「計画的に行動できない」。
これらは「遂行機能障害」の典型的な症状であり、多くは前頭葉機能の低下と関連付けられます。
遂行機能とは、目標達成のために計画を立案し(Plan)、それを実行し(Do)、結果を評価・修正する(See)という一連の自己統制プロセスを指します。この高度な機能もまた、注意機能という土台がなければ正常に働きません。
遂行機能の各段階と注意機能の関わりを見ていきましょう。
①計画立案
目標達成に必要な作業を洗い出し、優先順位を付ける段階です。このプロセスでは、無関係な情報を無視し(選択的注意)、目標に関連する情報だけに思考を集中させる(持続的注意)必要があります。注意散漫な状態では、的を射た計画を立てること自体が困難になります。
②計画の実行と監視
計画を実行に移すには、目の前のタスクに集中し続ける力はもちろん、予期せぬ事態が起きた際には、注意を適切に切り替えて対応する「転換性注意」が求められます。
また、複数のタスクを並行して進める場合は、注意を適切に配分する「分配性注意」も不可欠です。
注意障害があると、一つの作業に固執してしまったり、逆にすぐ他のことに気を取られたりして、計画は頓挫します。
③評価と修正
自分の行動が計画通りに進んでいるか、目標に近づいているかを客観的に評価し、必要に応じて戦略を修正する能力です。
これには、自己の行動へ注意を向ける内的なモニタリング機能が関わります。注意障害があると、ミスに気づかなかったり、非効率な方法を頑なに続けたりしてしまいます。
以上の3点からわかるとおり、遂行機能障害は、単なる「計画性の欠如」ではなく、その前提となる注意機能の破綻によって引き起こされているケースが非常に多いのです。
この点を明確にすることは、被害者が直面する就労上の困難の根本原因を明らかにするという重要な意味を持ちます。
■ まとめ
本稿では、高次脳機能障害を検討する上で、なぜ「注意障害」という視点が不可欠なのかを、脳外科医の立場から解説いたしました。
注意機能は、記憶や遂行機能を含む全ての高次脳機能の土台である。
記憶障害は、注意障害によって情報が脳に入力されない「記銘」の段階で生じていることが多い。
遂行機能障害は、計画・実行・修正の全プロセスが注意機能に依存しており、その破綻が原因となる。
被害者が訴える多様な症状は、一見すると無関係に見えるかもしれません。しかし、「注意障害」という共通の根を見出すことで、それらの症状が一つの病態として有機的に繋がり、一貫性のある主張を構築することが可能になります。
弁護士の先生方が、高次脳機能障害を正しくご理解される上で、困難な状況にある被害者の正当な権利を守る一助となることを、心より願っております。
(併せて読みたい記事:高次脳機能障害の後遺障害等級を争う前に確認したいこと)







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