交通事故の後遺症で見逃せない高次脳機能障害とうつ病の合併
- 医療鑑定研究会 中嶋浩二
- 4 日前
- 読了時間: 9分

■ 高次脳機能障害とうつ病の合併について知っておくべきこと
脳神経外科医として24年間、様々な脳の障害と向き合ってきました。
その中でも特に見過ごされがちなのが「高次脳機能障害とうつ病の合併」です。この二つの症状が重なると、患者さんの生活の質は著しく低下し、リハビリテーションの効果も得られにくくなります。
高次脳機能障害は「見えない障害」と呼ばれ、外見からは分かりにくいため、周囲の理解を得られないことが多いのです。そこにうつ病が加わると、さらに状況は複雑化します。
交通事故で脳が損傷されると、記憶能力の障害、集中力や考える力の障害、行動の異常などが生じることがあります。これらの障害を「高次脳機能障害」と言います。そして、この障害を抱える方のなかには、うつ病を併発して人もいるのです。
なぜこの組み合わせが重要なのでしょうか?それは互いに症状を悪化させる「負の連鎖」を生み出すからです。今回は、この見過ごされがちな合併症状について詳しく解説していきます。
■ 高次脳機能障害とうつ病の合併症状〜見逃せないサイン
高次脳機能障害とうつ病が合併した場合、どのような症状が現れるのでしょうか?これらの症状は互いに影響し合い、時に判別が難しくなることがあります。
高次脳機能障害の主な症状には、記憶障害、注意障害、遂行機能障害、社会的行動障害などがあります。一方、うつ病の典型的な症状は、抑うつ気分、意欲低下、不安などです。
これらが合併すると、以下のような複雑な症状パターンが現れることがあります:
記憶障害の悪化:うつ病による集中力低下が、元々ある記憶障害をさらに悪化させます
意欲の著しい低下:高次脳機能障害による遂行機能の問題とうつ病による意欲低下が重なり、日常生活が極めて困難になります
感情コントロールの困難:社会的行動障害による感情制御の問題にうつ病の症状が加わり、感情の起伏が激しくなります
自己認識の歪み:高次脳機能障害による病識の欠如とうつ病による否定的思考が混在し、自分の状態を適切に認識できなくなります
リハビリへの抵抗:うつ病による無力感が、リハビリテーションへの意欲を著しく低下させます
特に注意すべきは、これらの症状が「悪循環」を形成しやすいことです。例えば、記憶障害があると日常生活で失敗体験が増え、それがうつ症状を悪化させます。うつ症状が悪化すると集中力がさらに低下し、記憶障害が一層目立つようになる…という具合です。
私が診察した患者さんの中に、交通事故後に高次脳機能障害と診断された40代の男性がいました。その患者さんは記憶障害と注意障害を主訴としていましたが、リハビリが進むにつれて次第に無気力になり、「どうせ良くならない」と言って治療に消極的になりました。
詳しく話を聞くと、仕事に復帰できないことへの不安や、家族に負担をかけているという罪悪感が強く、典型的なうつ症状を呈していたのです。このケースでは、高次脳機能障害に対するリハビリテーションと並行して、うつ病に対する薬物療法と心理的サポートを行うことで、徐々に改善が見られました。

■ 診断の難しさと専門的アプローチ
高次脳機能障害とうつ病の合併症状を正確に診断することは、非常に難しい課題です。なぜなら、両者の症状が重なり合い、互いに影響し合うからです。
例えば、高次脳機能障害による意欲低下なのか、うつ病による無気力なのかを区別することは容易ではありません。また、患者さん自身が自分の状態を正確に説明できないこともあります。
診断には、以下のような多角的なアプローチが必要です:
詳細な病歴聴取:脳損傷の経緯、その後の症状の変化、生活環境などを丁寧に聞き取ります
神経心理学的検査:WAIS-IVなどの知能検査、WMS-Rなどの記憶検査、Trail Making Testなどの注意・遂行機能検査を組み合わせて実施します
(併せて読みたい記事:【高次脳機能障害】神経心理学的検査を行う順番があるのをご存じですか?)
精神症状評価:ハミルトンうつ病評価尺度(HDRS)やベック抑うつ質問票(BDI)などを用いて、うつ症状の重症度を評価します
脳画像検査:MRIやCTで脳損傷の部位や程度を確認し、必要に応じてSPECTなどの機能的画像検査も行います
家族からの情報収集:患者さん自身が気づいていない症状や行動の変化について、家族から情報を得ることが極めて重要です
私はいつも、「一人の専門家だけで診断するのではなく、チームで取り組むことが大切」と考えています。脳神経外科医、臨床心理士、作業療法士、言語聴覚士など、多職種が連携して評価することで、より正確な診断と効果的な治療計画が可能になります。

■ 効果的な治療アプローチ〜医学的・心理的・社会的支援
高次脳機能障害とうつ病の合併症状に対する治療は、単一のアプローチではなく、包括的な支援が必要です。私の臨床経験から、以下の3つの側面からのアプローチが効果的だと考えています。
医学的アプローチ
まず、薬物療法は重要な選択肢の一つです。うつ症状に対しては、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)や、セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(SNRI)などの抗うつ薬が考慮されます。
ただし、脳損傷後のうつ病では、通常のうつ病と比べて薬物療法の効果が出にくいことがあります。また、高次脳機能障害がある場合、薬の副作用(眠気や注意力低下など)が認知機能をさらに悪化させる可能性もあるため、慎重な投与調整が必要です。
私は常に「低用量から開始し、ゆっくりと増量する」という原則を守っています。また、定期的に認知機能評価を行いながら、薬物の効果と副作用のバランスを見極めることが重要です。
心理的アプローチ
認知行動療法(CBT)は、うつ病の治療に効果的であることが知られていますが、高次脳機能障害を合併している場合は、通常のCBTをそのまま適用することが難しいことがあります。
そこで、認知機能の状態に合わせた修正版CBTが開発されています。例えば、複雑な思考記録ではなく、シンプルな感情記録を用いる、視覚的な補助教材を多用する、セッションの時間を短くして頻度を増やすなどの工夫が効果的です。
また、マインドフルネスに基づくストレス低減法(MBSR)も、ストレス適応力を高める上で有用なアプローチです。シンプルな呼吸法や身体感覚への注意集中は、高次脳機能障害があっても比較的取り組みやすい技法です。
社会的アプローチ
家族教育と支援は極めて重要です。高次脳機能障害とうつ病の合併症状について、家族に正しい知識を提供し、適切な対応方法を指導することで、家庭内のストレスを軽減し、患者さんの回復を促進することができます。
(併せて読みたい記事:【高次脳機能障害】社会的行動障害により在宅生活が難しくなる要因とは?)
また、同じような障害を持つ人々との交流の場(当事者グループ)も、孤立感の軽減や情報共有の点で有益です。「自分だけじゃない」という実感は、うつ症状の改善に大きく寄与します。
就労支援や福祉サービスの活用も重要な側面です。障害者手帳の取得、就労移行支援、自立訓練などの制度を適切に利用することで、社会参加の機会を広げることができます。
ある交通事故後の高次脳機能障害とうつ病を合併した30代男性の例では、薬物療法だけでは改善が見られませんでした。しかし、認知機能に配慮した心理療法と、家族への支援、さらに段階的な職場復帰プログラムを組み合わせることで、徐々に症状が改善し、最終的には元の職場に復帰することができました。
このように、医学的・心理的・社会的アプローチを統合した「生物・心理・社会モデル」に基づく包括的な支援が、最も効果的だと言えるでしょう。
■ 家族ができるサポートと自己管理のポイント
高次脳機能障害とうつ病の合併症状を抱える方をサポートする家族の役割は非常に重要です。同時に、患者さん自身が行える自己管理の方法も知っておくことで、回復への道のりがより確かなものになります。
家族ができるサポート
まず、「理解すること」が第一歩です。高次脳機能障害もうつ病も「見えない障害」であり、本人の怠けや気の持ちようではないことを理解しましょう。脳の機能的・器質的な問題に基づく症状であることを受け入れることが、適切なサポートの出発点となります。
次に、「環境調整」が重要です。刺激を減らし、シンプルで予測可能な環境を整えることで、認知的な負担を軽減できます。例えば、静かな環境の確保、日課の一貫性、視覚的な手がかり(メモやカレンダー)の活用などが効果的です。
「コミュニケーションの工夫」も欠かせません。短く明確な言葉で話す、一度に一つの話題に絞る、十分な反応時間を与える、ポジティブなフィードバックを心がけるなどの工夫が有効です。
そして何より、「焦らないこと」が大切です。回復には時間がかかります。小さな進歩を認め、称え、長期的な視点で支援を続けることが、結果的には最も効果的なアプローチとなります。
患者さん自身ができる自己管理
「自分の状態を知る」ことから始めましょう。自分の認知機能の強みと弱みを理解し、どのような状況でうつ症状が悪化するかのパターンを把握することが重要です。
「補償戦略を活用する」ことも効果的です。記憶障害には外部記憶補助(スマートフォンのリマインダー、メモ帳など)、注意障害には環境調整(静かな場所での作業、一度に一つのタスクに集中するなど)といった工夫が役立ちます。
「ストレス管理を学ぶ」ことも重要です。脳損傷後はストレス耐性が低下しているため、ストレスを早期に察知し、対処する技術が必要です。定期的な休息、深呼吸、趣味の時間確保などの基本的なストレス管理法を日常に取り入れましょう。
「小さな目標を設定する」ことで、達成感を得ながら前進することができます。大きな目標を小さなステップに分解し、一つずつクリアしていくアプローチが効果的です。
■ まとめ:見逃せない関連性と早期対応の重要性
高次脳機能障害とうつ病の合併症状について、ここまで詳しく解説してきました。最後に、重要なポイントをまとめておきましょう。
高次脳機能障害とうつ病は、脳損傷後によく見られる合併症状です。これは単なる偶然ではなく、脳損傷によるストレス適応力の低下が、うつ病発症の閾値を下げるという生物学的なメカニズムに基づいています。
この合併症状の特徴は、互いに症状を悪化させる「負の連鎖」を形成しやすいことです。高次脳機能障害による認知機能の低下が日常生活の困難を招き、それがうつ症状を悪化させ、うつ症状がさらに認知機能を低下させる…という悪循環が生じやすいのです。
だからこそ、早期発見・早期介入が極めて重要になります。脳損傷後のリハビリテーション過程で、うつ症状のサインを見逃さないことが、回復の鍵を握っています。
治療においては、医学的アプローチ(適切な薬物療法)、心理的アプローチ(認知機能に配慮した心理療法)、社会的アプローチ(家族支援、環境調整、社会参加の促進)を統合した包括的な支援が効果的です。
医療者、家族、そして患者さん自身が協力して取り組むことで、高次脳機能障害とうつ病の合併症状からの回復は可能です。焦らず、小さな進歩を大切にしながら、長期的な視点で支援を続けることが大切です。
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