遺言内容の複雑性と判断能力の関係性|専門医が解説する3つの基準
- 医療鑑定研究会 中嶋浩二

- 8月7日
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■ 遺言能力とは?医学的・法的観点からの定義
遺言能力とは、簡単に言えば「遺言の内容を理解し、その結果どのような効力が生じるのかが分かる能力」のことです。民法では「遺言事項を具体的に決定し、その法律効果を弁識するのに必要な判断能力(意思能力)」と定義されています。
遺言能力の有無は、遺言の内容、遺言者の年齢、病状を含む心身の状況、健康状態とその推移、発病時と遺言時の時間的関係、遺言時の言動および精神状態、日頃の遺言についての意向など、総合的に判断すべきとされています。
つまり、認知症の診断を受けているからといって、すぐに遺言能力がないとは言えないのです。一方で、認知症が進行すれば、遺言能力に著しい障害が生じることは確かです。
■ 認知症と遺言能力の関係性
認知症と遺言能力の関係は非常に複雑です。認知症には様々な種類があり、それぞれ症状の現れ方や進行の仕方が異なります。2010年代前半の全国調査によると、認知症疾患の頻度は、アルツハイマー型認知症が67.6%、血管性認知症が19.5%、Lewy小体型認知症/認知症を伴ったParkinson病が4.3%となっています。
アルツハイマー型認知症の場合、最も中核的な症状は記憶障害です。特に近時記憶(数分から数週間前の出来事を思い出す能力)が障害されやすく、遠隔記憶(昔の出来事)は比較的保たれます。また、見当識障害(時間→場所→人の順に進行)や遂行機能障害も比較的早期から認められることが多いです。
これらの症状は遺言能力と深く関わっています。なぜなら、遺言をするには、自らの財産の内容を把握し処分することが理解できる能力、諸般の事情や、自身が遺言を作成した場合に各推定相続人に及ぼす影響について、社会常識的判断を加えつつ、財産分配方法を立案する能力が必要だからです。このような能力の基礎には相応の見当識、記憶力、実行機能が必要です。
特に実行機能は重要です。財産の管理、処分における実行機能とは、対立する考えを区別し、現在の行動によってどのような結果が生じるかを判断し、社会的に容認されないような結果を引き起こす衝動を抑制した上で、行動を決定する機能といえます。実行機能を基礎づけるのは注意機能です。注意機能の障害、すなわち注意障害があれば、実行機能も障害されます。
■ 遺言能力の判断における3つの基準
遺言能力の判断は、大まかな分類として3つの基準から行われます。これらの基準は裁判例などから導き出されたもので、遺言の有効性を判断する際の重要な指標となります。
①医学的見地からの判断
まず1つ目の基準は、医学的見地からの判断です。これには診断書や鑑定、医療・看護記録などが含まれます。私の臨床経験からも、認知機能検査の結果は非常に重要な判断材料となります。
日本では、認知症のスクリーニング検査として、改訂長谷川式認知症スケール(HDS-R)やミニメンタルステート検査(MMSE)がよく用いられます。HDS-Rは年齢、見当識、3単語の即時記銘と遅延再生、計算、数字の逆唱、物品記銘、言語流暢性の9項目からなる30点満点の認知機能検査で、20点以下が認知症疑いとされています。MMSEも30点満点で、23点以下が認知症疑い、27点以下は軽度認知障害(MCI)疑いとされています。
これらの検査結果を用いて、認知症の重症度をあくまで簡易的ですが判定することは可能です。MMSEでは21点以上は軽度、11-20点は中等度、0-10点は重度と判定します。HDS-Rでは、非認知症が24.27±3.91点、軽度認知症が19.10±5.04点、中等度が15.43±3.68点、やや高度が10.73±5.40点、非常に高度が4.04±2.62点とされています。
アルツハイマー型認知症が中等度~高度であれば記憶障害もまた中等度~高度であることが一般的なので、遺言能力に問題があるとみなすべきだと考えられています。
②遺言の内容、形式からの判断
2つ目の基準は、遺言の内容や形式からの判断です。これには運筆能力や財産額、自筆・公証の違いなどが含まれます。
遺言の内容が単純明快であれば、高度の理解力は不要とされる傾向があります。例えば、大阪高裁平成19年3月16日判決では、「本件遺言は遺言者が被控訴人と同居する自宅を被控訴人に遺贈するという単純明快な内容であって、高度の理解力が必要になるとは認められないこと、遺言者が、その介護に専念した被控訴人に対し、同居していた不動産を相続させるという遺言自体、自然かつ合理的であることに照らし、遺言者が、本件遺言作成時に本件遺言内容を理解できたものと推認できた」と認められています。
一方、遺言の内容が複雑であればあるほど、より高い認知機能が求められます。例えば、多数の不動産や金融資産を細かく分割して相続させる内容や、条件付きの遺贈などは、相当高度な理解力と判断力が必要です。
また、公正証書遺言と自筆証書遺言では、判断が異なる場合もあります。公正証書遺言は公証人の関与があるため、一般的には遺言能力の証明になりやすいとされていますが、それだけで遺言能力があったとは言えないケースもあります。高知地裁平成24年3月29日判決では、公証人が遺言の作成に関与したというだけでは、遺言者の遺言能力があったはずとはいえないとして、遺言を無効としています。
③本人の状況と周囲の者との関係からの判断
3つ目の基準は、本人の状況と周囲の者との関係からの判断です。これには本人の性格や学歴、生前の意思、周りの状況などが含まれます。
例えば、遺言者が生前から特定の相続人との関係が良好で、その相続人に財産を相続させる意向を周囲に伝えていた場合、その意向に沿った遺言は自然かつ合理的と判断されやすいでしょう。逆に、突然、それまでの意向とは全く異なる内容の遺言が出てきた場合、その背景には不当な影響や強制があった可能性も考慮されます。
また、遺言者の教育レベルや職業経験なども考慮されます。例えば、法律や財務に関する専門知識を持つ職業に就いていた人であれば、一般の人より複雑な遺言内容でも理解できる可能性が高いと判断されることがあります。
このように、遺言能力の判断は単に認知症の有無や程度だけでなく、遺言の内容の複雑性と遺言者の状況を総合的に考慮して行われるのです。

■ 遺言内容の複雑性と必要な判断能力の対応関係
遺言内容の複雑性と必要な判断能力には密接な関係があります。これは「意思能力の相対性」と呼ばれる考え方で、どの程度の精神能力が必要かは、意思表示の内容によって異なるというものです。
・単純な遺言内容の場合
遺言内容が単純である場合、必要とされる判断能力のレベルも比較的低くなります。例えば、「すべての財産を配偶者に相続させる」というシンプルな内容であれば、軽度の認知症であっても理解できる可能性が高いです。
おおまかな目安として、HDS-Rで19点前後、MMSEで21点以上あれば、単純な遺言内容を理解し判断できる可能性があります。
裁判例でも、「本件遺言は遺言者が被控訴人と同居する自宅を被控訴人に遺贈するという単純明快な内容であって、高度の理解力が必要になるとは認められない」(大阪高裁平成19年3月16日判決)として、遺言能力を認めたケースがあります。
・中程度の複雑性を持つ遺言内容の場合
財産を複数の相続人に分ける内容や、特定の条件付きで遺贈するような場合は、より高い判断能力が求められます。例えば、「不動産は長男に、預金は次男に、有価証券は長女に相続させる」というような内容です。
このような場合、遺言者は自分の財産の種類と価値を理解し、それを適切に分配する能力が必要です。軽度から中等度の認知症では、このレベルの判断が難しくなることがあります。特に記憶障害や遂行機能障害が進行している場合、財産の全体像を把握し、適切な分配を考える能力が低下している可能性があります。
認知症の進行によって、手段的ADL(買い物、家計管理、服薬管理など)が障害されると、このレベルの遺言内容を適切に判断することは困難になります。一般の高齢者において、買い物や金銭管理の障害は、最も軽度認知障害(MCI)を予測するという報告もあります。
・高度に複雑な遺言内容の場合
多数の不動産や事業用資産、金融商品などを詳細に分配したり、信託や条件付き遺贈など法的に複雑な内容を含む遺言の場合、非常に高い判断能力が必要です。
例えば、「A不動産は長男と次男の共有とするが、その持分割合は7対3とする。ただし、長男が5年以内に死亡した場合は次男の単独所有とする。B株式会社の株式は孫に遺贈するが、その議決権は長女が行使する」といった内容です。
このような複雑な内容を理解し、その法的効果を正確に把握するには、相当高度な認知機能が必要です。中等度以上の認知症では、このレベルの判断は極めて困難と言わざるを得ません。
最高裁判所は、遺言をする者が考慮する事項に関し、「被相続人の遺産の承継に関する遺言をする者は、一般に、各推定相続人との関係においては、その者と各推定相続人との身分関係及び生活関係、各推定相続人の現在及び将来の生活状況及び資産その他の経済力、特定の不動産その他の遺産についての特定の推定相続人の関わりあいの有無、程度等諸般の事情を考慮して遺言するものである」(平成23年2月22日第三小法廷判決)と判示しています。
つまり、遺言をするには単に財産を分ける意思だけでなく、相続人の状況や将来の生活、財産との関わりなど、多角的な視点からの判断が必要なのです。認知症が進行すると、このような複雑な判断能力が著しく低下します。
■ 遺言能力の判断における医師の役割と課題
遺言能力の判断において、医師、特に認知症を専門とする医師の意見は非常に重要です。しかし、医師の役割には限界もあり、いくつかの課題も存在します。
医師の診断・意見書の重要性
裁判例では、遺言能力の有無を判断する際、医学的見地が最も重視されることが多いです。その中でも主治医の意見書が最も重視され、看護・介護記録よりは、検査や専門的な知見に基づく診断書の方が重視される傾向があります。
特に、長期間にわたり遺言者の診療にあたってきた医師の意見は、高い信頼性を持つとされています。高知地裁平成24年3月29日判決では、長期間にわたり遺言者の診療にあたってきた医師が、成年後見開始の申立てにおいて、遺言者には財産を管理する能力がないとの鑑定意見を作成したことが、遺言無効の判断の重要な根拠となっています。
医師と法律家の協働の重要性
遺言能力の判断は、医学的見地だけでなく、法的判断でもあります。したがって、医師と法律家の協働が重要です。
医師は認知機能の評価や認知症の診断を行い、その医学的な見解を提供します。一方、法律家はその医学的見解を基に、遺言の内容や遺言者の状況などを総合的に考慮して、法的な判断を行います。
理想的には、遺言作成前に、認知症を専門とする医師による認知機能評価を受け、その結果を踏まえて、法律専門家が遺言作成をサポートするという流れが望ましいでしょう。
(関連記事:認知症の進行速度から見る「遺言最適タイミング」の見極め方)
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
遺言能力の判断において、医師、特に認知症を専門とする医師の意見は非常に重要です。しかし、医師の診断にも限界があるため、医師と法律家の協働が望ましいでしょう。
判断能力があるうちに遺言を作成しておくことも大切です。認知症の疑いがある場合は、早めに専門医に相談し、必要に応じて法律専門家のサポートを受けることをお勧めします。
執筆責任者:医療鑑定研究会 代表医師 中嶋 浩二

【略歴】
2002年 大分医科大学(現 大分大学)医学部医学科卒業
2002年 大分医科大学(現 大分大学)医学部附属病院
2003年 Baskent University Ankara Hospital
2006年 昭和大学(現 昭和医科大学)藤が丘病院
2015年 東京警察病院
2018年 牧野リハビリテーション病院(現職)
【資格】
日本専門医機構脳神経外科専門医
日本認知症学会専門医
日本認知症学会指導医
日本職業・災害医学会認定労災補償指導医
日本脳卒中学会専門医
厚生労働省認知症サポート医養成研修終了 等





